さて、今週のサイクリングは、東海道五十三次は日坂の宿と小夜の中山峠に行って参りました。
海沿いの街、御前崎より牧ノ原台地を北上。金谷手前から粟が岳方面に進みます。
山肌に茶の字が見えます。(お茶の木が植えてあるのだ)Googleマップの航空写真を見るとなかなか笑える。
静岡っぽくてステキ。
まずは旧国道1号線沿いの遠州七不思議のひとつ、夜泣き石を訪れました。
昔々、山賊に殺害された妊婦が、お腹の子を守るために霊魂がのり移って夜な夜な泣いたと云う石だ。妊婦は死んでしまったがお腹の子は生き残り、音八と名付けられ後に母の仇を討ったといふ。その後この話を聞いた弘法大師が妊婦に同情し指で南無阿弥陀仏の文字を刻んだとのことだ。
(おおっホントに書いてあるゾ、すげぇ。弘法大師。)
というお話を書いたのが滝沢馬琴(八犬伝書いた人ね)。
「小夜中山復讐石言遺響」は近代デジタルライブラリーで読めます。
現代語訳プリーズ!
少しコースを戻って旧東海道の峠道に入ります。先に仕入れた情報だと、かなりきつい坂道とのことでしたが、すいませんなめてました。中年メタボごときが登れるような坂ではないです。
だいたいこのぐらいの坂。
写真傾けてないよ。
後ろの鉄塔で垂直出しました。
20度越してるんじゃないかと。
何度かキツい坂で足ついて自転車押しました。
この日はご老人方が大勢ハイキングに来ており、「おにいさん、ガンバレー!」(いや、もう50過ぎてんですけど…おにいさんって…)と声援を受けまくっていたので、相当ムリして走りました。もう泣きたくなっちゃったよ、マジ死にそうで。
フラフラになりながら頂上の久延寺に到着。ぶっ倒れて30分くらい動けませんでした。マジ死にそうだったんだよ、2回言ったよ。ホントにキツかったんだよ。
境内にある小石姫供養塔(久延寺夜泣石)
あれ?
こちらにも南無阿弥陀仏って書いてあるゾ。どっちがホンモノなの?
お寺のとなりの茶店(扇屋)で、せっちゃん(嫁)のお土産に手書きのしおりを購入。茶店のおねいさん(自分より年上なので)が話好きで、お客さん誰彼となしに説明をしていた。自転車のりの格好をしていたからか、毎年2月にヒルクライムしている集団があると教えてくれた。すげぇ。
茶屋の前には大きな石碑。
“年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山”
西行法師69才のとき、この地でよんだ歌だそうだ。
69であの坂登ったのか。すげえ。
ってゆうかハイキングに来てた老人たちが、そのくらいだったか。あれ?すごくない?あれれ?
一里塚
ええっと、どれが塚跡なのかな?
うおっ。
なんだこれ雑草に埋もれてわかんないじゃん。びっくり。
東海道沿いの道は茶畑の中、ひっそりと続く山道なのですが、とても多くの石碑や社が祀ってあったりします。
蛇身鳥(じゃしんちょう)退治に京より下向してきた三位良政卿の乗ってきた馬を葬ったところだそうだ。
なんだろう蛇身鳥!!
今でも、明かり一つないこの峠道は、暗くなると、とても妖しくなるんだろうなと想像しました。昔は今よりずっと、もののけが身近だったんだろうなと。
あまりそういうのは信じてませんが嫌いでもないです。というかわりと好き。
歌碑とか句碑といった石碑もたくさん道沿いに建てられています。
一番気に入ったのがこの句。
なんとも暢気な感じの芭蕉さんの句
この松尾芭蕉が「命なりわずかの笠のした涼み」と詠んだらしい涼み松広場で昼飯。
道のすぐ脇の草ぼうぼうの狭い土地です。普通、広場って言わないと思うよ。
安藤広重の描いた東海道五十三次の日坂の宿。
絵の真ん中に夜泣き石があります。それにしても凄い坂道に描かれているなあ。
日坂方面に抜ける、二の曲がりと呼ばれる急カーブの坂。イン側は単なる壁です。通れません。前ブレーキロックしようものなら前転です。怖えぇ。
ん?さっき追い越してった軽トラ、この道降りてったの?
すげぇ!!!今日一番すげぇと思った!
日坂の宿は江戸時代の面影を残しています。
最後に寄ったのが、せっちゃんオススメの言任八幡宮(ことのままはちまんぐう)。
「ことのまま」の名が「願い事が意のままに叶う」の意味を持つことから、多くの人が旅の安全や願い事成就を祈るため立ち寄るそうです。
社務所にこんな看板が。
おっ、うまいプロデュースだなぁ。と感心。
まあ、あまりこういうのは信じてませんが嫌いじゃないのです。
というかわりと好き。
それらしい山道を登っていくと
(パワースポットっぽいね)
やっと本宮にたどり着きます。
一生懸命、石をフキフキしてきたよ。
帰り道
近所の道脇の野辺の花がとてもきれいでした。
今日はなかなか充実したサイクリングでした。
今週のねむさん
人の上に乗ってくるのが好き。
ついついかまってしまうのです。
↓遊園地ごっこ